このブログの方向性について、考えたりしてる……まとまってないけど
このブログの方向性について、考えたりしてる……まとまってないけど
本当にまとまってないまま書きますね。
私は、
あるブログが読まれるブログになる
その変身を遂げる瞬間っていうのは、
そのブログが
雑多なものを含んでいてもいいので、
一つの統一したテンションなりムードなり、
一つの統一したグルーヴがあるブログになった時だと
思ってて。
生きざま、暮らし方、とかでもいいんです。
んー、
要は、
読者のかたが、
「このブログを開けば、大体、こういう領域、方向性、感じ、のことが書いてあるのを読めるだろう」、
と、
見当をつけられる感じ。
少なくとも私が
定期的に読ませてもらってるブログさんは
みな、そういうブログです、
つまり、読もうという気になるブログは、ってことね。
(もちろん、その統一感の中で、私や読者は、自分ごのみの統一感を選ぶわけだね)
私の場合、ブログのトップに掲げてあるのは
「独身非正規、メンタル、睡眠障害、抜毛症、気温差アレルギー/寒暖差アレルギー、家計赤字、住宅ローン返済、パレスチナ支持」
です。
ですので、読みにくるかたは、そのへんを期待して読みにくるだろうし、むろん、そうして頂いていい。
(そのつもりで、ブログのトップに上のテーマを掲げてるのだから。)
あとは、
わたしブログ村さんに登録させてもらってて、
メンヘル日記
貧乏・生活苦
ひとりぼっち日記
ですね、今んとこ、登録カテゴリは。
これも、読者のかたは、
それぞれのカテから、
そのカテらしいブログなんだろうなと期待して読みにくる。
それでいいし、そうあって良いわけだ。
私だって、他ブログさんを見に行く時、
そうします。
貧困・生活苦なら、貧困だったり、生活苦だったり、あとはまあ、質素な生活とかかな、そういうのを期待しては、読みにいくわけです。
んー、
ブログは私が思うに、
ある、読者が期待したり予測することができる、
一つの、ある、大きい、ざっくりした、テーマのまとまり、価値観のまとまり、があることが望ましい。
あとブログ村のカテに即しているのが望ましい。
私のブログは、
上に列挙した
「独身非正規、メンタル、睡眠障害、抜毛症、気温差アレルギー/寒暖差アレルギー、家計赤字、住宅ローン返済、パレスチナ支持」
ですね。
特に青字の部分です。
非・青字の「パレスチナ支持」は、これも私の生活の一部、私の精神の大事な一部です。
なので、それも書いておきたかった、一つのテーマとして列挙しておきたかった、ブログトップに。
ただ、そこだけ浮いてます。
非・青字の「パレスチナ支持」だけ、
ブログに書きたい内容を列挙している文の中で、浮いてる。
それは分かってる。
「浮き」が多少あるのは、いけないことではない。
ただ、私のブログのメインは、
生活ブログ、日常ブログであって。
「独身非正規、メンタル、睡眠障害、抜毛症、気温差アレルギー/寒暖差アレルギー、家計赤字、住宅ローン返済、パレスチナ支持」
青字のところまでが、私のブログのメイン部分で。
読者のかたが、おおむね、それらを期待して、ブログへのリンクを押してくれる部分だと、わたしは思ってる。
非・青字の「パレスチナ支持」のことをブログ記事に書くのはいい。全く良い。
けれど、その割合が、印象が、
あまりに、このブログに対し、
割合が大きすぎては、
あるいは、苛烈すぎ、印象が強すぎ、
エネルギー量が多すぎては、
青字の部分を読みにきてくれる読者のかたの見込みや期待、
及びこれまでの「1スクロールの空白」と、
今の本ブログの実際の状況とが、
離れていってしまう、乖離して、別物になっていってしまう。
……そこを、最近、少し、わたし、懸念を感じていてね。
それで、こうして、まとまらない筆をとった次第でもあります。
そもそも、だからというかね、
ブログは、私、分けてたんです。
「井戸の底の遠い音」というブログを、
「1スクロールの空白」とは別に立てて、
それぞれ別々で、公開・更新してました。
そちらに政治的、国際情勢的、人道主義的、イスラエルへの抗議的、なことは書くつもりだった。
が、そちらの「井戸の底の……」は更新、しやしない。
やはり重いテーマなので、気持ちが向きづらく(私の)、
そちらの編集画面を開くのが気が重く、なかなか開くまで腰が重くて。
たまに更新しても、たまにだから、ブログとしての迫るチカラが、出づらい。どの記事も一発屋みたいになってしまいやすい。(書いた内容は悪いとは思ってない。ただブログとしての力を出せていたかは、出せてない。)
なので、ブログを分けるのは、あまり現実的でなかった…ということだ。
「井戸の底の遠い音」は今月末ぐらいで閉鎖にしようとも思ってる。
じゃあ、今後どうするのか。
「井戸の底の……」で表現、記載しようとしていた、
パレスチナ支持、パレスチナへの共闘したい想い、イスラエルへの抗議と怒り、
それを全部、こっち(「1スクロール」)に持ってくるのか?
私はそれも、違うと思う。
もし、正面切ってそうするなら、
ブログ名、ブログコンセプト、ブログ村に参加するなら参加カテ、全部変えて、
つまりこのブログではないものにして、再出発が、あるべき、するべき姿だと思ってる。
でも、私は、このブログ「1スクロール」をやめたくない。
そう、かと言って、
大きく方向転換、舵を切ってまで続けるのは、上記に書いたように、それは「無し」だと思ってる。
でも、パレスチナの人々の業苦、怒り、悲しみ、屈辱、絶望、不便、苦痛、殺戮される事態、水を奪われて渇きに苦しまされている事態、
このことから私の心を引き離すこともできない。
ツイッターを少し前、2~3年前?私は始めてみた。
どんどん、
政治的、国際情勢的、イスラエルへの怒りや抗議、パレスチナの人々の業苦や忍苦、殺戮されている状況、
それらを報告したり、批判の意見を述べたり、抗議したりするポストばかりに引き寄せられた。(それは、いけないことだとは今も思ってないし、今も、そうしている。)
そうやって、リポストを繰り返し、発言も繰り返し、
私のツイッターアカウントは、完全に、
政治系、国際情勢系、人道主義、反歴史修正主義(旧大日本帝国の戦争犯罪を自覚し反省する姿勢を堅持する)、市民派、弱者の尊厳の保護、フェミニズム支持、のアカウントになった。
このことを間違った、とは思わない。
これらは私の想いだし、私の得て来た知識とも一致しているし、私は、これらの思想を持つことに、何のためらいもない。(平然としてる、まで言うと、なんか戦中の横光利一とか、戦中の最悪な右や、戦後のビミョウなあたりの左みたいになってくるので、アレだけど)
でもね、
ツイッターで、
上記以外の行動の仕方等を、私が、そのツイッターアカウントで、することは、もう、できない。(アカウントに、政治・人道・市民派アカ色が強すぎる。もっと言うと相手に拒否られることも考えられる。
でも、まあ、いい。
こうなってしまったことは、もういい。
私は、それらを支持しているのだし(市民派、イスラエル抗議、米国抗議、パレスチナ支持、弱者の権利の保護、etc.)。
別に、そのこと自体は、こうなってしまったのは、
それはそれだ、もうこれでいくから、いい。
ただ、私はこのブログ「1スクロール」に、
ツイッターの私のアカウントがたどったのと同じ道をたどらせるのではなく、
また別の、違う道をたどらせたい。
これまで読んでくれて、
暖かいリアクションをくれて、
そうやって私をちからづけてくれた、
このブログの読者のかたがたとも、
安易に(???)離れたくない。
マジで考えがまとまらないで書いてみてるので、
長いし、支離滅裂ですね。スマン。
ブログは、
ある一定の価値観、テーマ、姿勢、書く者のキャラクター、
なんにせよ、ある一定の形のないものの一定の固まり、
が、必要だと思う。
まったく毎回、言うことが違ってて、
毎回ブログ主のキャラが違うブログとか、
読むの、疲れますもんね。
私なら、そういうブログは読み続ける気にならないし。
このブログの、ある程度の、「書きたいあたり」、
「読んで欲しいあたり」は、
繰り返すけど、
「独身非正規、メンタル、睡眠障害、抜毛症、気温差アレルギー/寒暖差アレルギー、家計赤字、住宅ローン返済、パレスチナ支持」
だ。(特に青字のもの)
しかし、非・青字の、「パレスチナ支持(+ イスラエルへの怒りと抗議)」、
これも、入れざるを得ない。
時に、このブログに、入れざるを得ないのです。
が、それは、
私の大事な部分ではあるが、
このブログの、メインになるのは違うかな、と思う。
一部であるべきかな、って。
「パレスチナ支持(+ イスラエルへの怒りと非難)」、
が、
メインになってしまうのは、
それは「1スクロールの空白」のありかたとして、
違うかな、と思う。
でも、ちょっとは、書くと思う。
その、「ちょっとは、書くと思う」という状態において、
読者の皆さんのこのブログに期待してくださるものと、
私の想い、とが、
どうにか、折り合えるように……、
そう折り合えるようにと、
留意しながら、
本ブログを書いていこうと思っている、私は。
そう、
ちょっとだけは、少しは、一部は、
「メンタル疾患持ちかつ睡眠障害持ちの、勤怠の安定しないスキル無し派遣社員の、住宅ローン地獄中の、ぼっちの、高齢独身の、それなりに頑張ったり、真性に駄目だったり、時には落ち着いてたり逆に変にテンション高かったりする、イタいキャラのトホホな日常ブログ」
から、
逸脱することもある。
こんな世界の現状では、逸脱をせざるを得ないのだ。
それ、その逸脱した文章を読んで、
気が差した、萎えた、白けた、と感じられる人もおられるかも知れない。
その時にですね、
「そんなら読むな」とは私はいうつもりは、まったくないんです。
せっかく、「書く」と「読む」とで、
うっすらと、繋がれたのだから、私は、
このブログを読んでくれる皆さんと。
そう、「少しでも嫌なら、読むな」ってのはね、
思わないんです。
いや、ほんとに嫌なら、無理して読んでくれなくていいのですが……。
うまく言えんな。
ともかく、
「少しでも気に入らんなら、読むな」とは、言うつもり、ないです。
「ここは俺/私の考えと違うが、こんな考えもあるのか」、
「こんな人間もいるのか」、
「こんな、俺/私と、かけ離れた(????)人間もいるのか」、
とかで、読んでくれてもいいし、っていうかなあ……。
そう……、
政治的、人道的なことについて、
私は、私の信条を書く。私の怒りを、想いを、疑念を書く。
書くかも知れない、このブログにね、
けれども、
「私に同調して!私に説得されて!」
って、読者のかたに、せまるつもりも、同様に、ない、ってこと。
そう、そっちも、ありますね、はい。
(同意してくれたり、支持してくれたら、この上もなく、嬉しいですが。)
このブログ「1スクロールの空白」は、
「読者の人が知らないであろう情報を伝えてあげて、真実を知らせてあげて、説得したい」、
……って風のブログじゃない、ってことです。
(いや、そんな風に仮想敵ぽく架空例を挙げてみたけどw、
左派系ブログでそういうブログがあるか?っていうと、
別に、ないけどね。
どっちかというと、そういうのは、「あなたも稼げます」みたいなアフィ界隈とか……、いや、やめとく。)
そう、あくまで、私が、私自身と、向き合う形で、
この、理不尽な、世界の現状を、考えたり、書いたり、それを、このブログに来てくれる人に、読んで欲しい。
いや、もっと、もしかしたら、街頭での抗議行動もするかも(イスラエルによるガザ・パレスチナの人々への虐殺行為・水の封鎖などの非人道的行為への抗議活動ね)、もしかしたらね。
でも、読者の人を啓発(???)するとか、
何等かのアピールするとか、
説得するとか、
動かそうとするとか、
それらがいけないと言いたいわけじゃ決してないんだよ、
でも、
そういうのは、このブログでは、違うかなって。
イスラエルへの抗議のために街頭に行くかもだけど、
それは、私自身が行く、ってことであって。
えーと、だから何、ってことでもないけど、
「メンタル疾患持ちかつ睡眠障害持ちの、勤怠の安定しないスキル無し派遣社員の、住宅ローン地獄中の、ぼっちの、高齢独身の、それなりに頑張ったり、真性に駄目だったり、時には落ち着いてたり逆に変にテンション高かったりする、イタいキャラのトホホな日常ブログ」
が、本業なのは、変わらなくて。
でも、そこから、ときに、逸脱というのか、別の話題、が入ることも、ある。
パレスチナのことで。というかイスラエルのことで、ってことだけど。
そこで、白けたり、不快を感じたり、見たくなかったものを見ることになってしまったと感じたり、するかたもいるかも知れない。
というかね、私が読者でも、そうなりますわ。
ダメ・独身・人生詰んでる・貧困・ぼっち・終わってる、系の人のトホホでこじんまりしているブログをまったり読んでると思っていたらさ、
急に、(自分でも気にかけていた問題であっても)
「残虐な殺戮が現実に今、進行している」ってことへの抗議の文章が出てきたら。
なんだろ、だめじゃないさ、
でもさ、
水を差されたような、気持ちが萎えたような気になると思う。
「その(殺戮の)話題は、今、このブログでは、ここでは、見たくなかったな」って、
思うんじゃないかな、私でも。
昔さー、
そう、ちょっとだけ昔話になるんだけど(そんな長くないのでお付き合いください)、
昔、
私、
インターネットにある、
とある、エロ系テキストブログを、
見つけて、PC画面で、読んでたんですよ。
それは、セクシー、エッチなお姉さんが、
ちょっとエッチ的な経験談を上品にユーモアを交えて書くみたいな、
(まあ、「そういうお姉さんという役割、キャラを演じつつ書く」、ということであったかも知れないが、)
こじんまりして、オシャレでセクシーな、
性的な傾向の内容がメインの、テキスト主体の、素敵なブログでした。
ま、私は、その素敵なエロティックなブログを見つけた瞬間から、
もう、かぶりつきですよ。
ウッハウハで読んでたわけですよ。
そしたら、
ま、日記形式だったんだけど、
で、私は、その日記を日付順に読み進んでいっていたのだけど、
ある日の日記に、
「あるアジアの国籍の船、領海、侵犯、海上自衛隊」、
などについての、
記事が唐突に出てきて。
(ま、そのブログ主のかたの、考え・価値観は、置いておく。そこが問題ではないので。)
ま、口調は、同じ、いつものそのお姉さんの柔らかい口調で、
「海上自衛隊はよくやったよね。大変だったね。」
みたいなことが綴られてたんですが、
そういうジャンルのことが出てくると思わないで
そのお姉さんが書く、オシャレでエロいテキストに没入し、ウッハウハで読み進めていた私は、
そこで、
冷や水を浴びせられた状態で、ドン萎えですよ。
急に、前触れなく、ある日の日記まで来たらば「あるアジアの国籍の船、領海侵犯、海上自衛隊」等が出てきて……、
なんか、そのブログの世界が一瞬で壊れた感じでした。
(そのブログは、その日記のページを最後に、読むのを中断してしまい、その後も読むことはなかった。)
それはもう20~30年も昔の話ですけど(昔過ぎんだろ…)、
ま、そのとき、わたしは、心に決めたんですよね、
「いつかホームページやらブログを作ることになったら、
たとえばエロなどのテーマ性があるコンテンツなら、
そのテーマ性から、激しく乱暴に逸脱して読者を萎えさせることだけはすまい」、と。
ほんとに脈絡なく書いててすまん。
私は、その、20年前~30年前の誓いというか、
そう、その、
エロティックなブログ読んでいて、
ドン萎えしたっていう、
そのドン萎え経験が強烈だったもんで、
「混ぜないモンは混ぜないんだ」と、
ね、
そこは気をつけてきました。
でも、この、2025年現在のね、こんな、現実で。
混ぜないと、私の心が、やってられない時もあるんです。
特に2023年10月7日以降です。
皆さん、私が、パレスチナ(イスラエル)のことを
このブログ記事に書き入れることで、
不機嫌になったり、萎えたり、しらけたり、
「今、ここでは観たくなかった、そのことは」、
と思われたり、
するかも知れない。
それが、
大きな拒絶感、忌避感、不快感なら、
無理に、「このブログを読むことにとどまってくれ」とは言わない。
ただ、
もし、それが、
小さな不機嫌、不快、萎え、なら、
折り合ってはくれませんか?
もし、そうしてくれると、私は嬉しい。
(同意をしてくれたら、もちろん、さらに嬉しいが。)
あまり、
激しい文章が出るときや、
そういう文章が長くなった時などは、
タイトルあたりのゾーンのあたりに、
「これこれこういうことを下の方で書いているよ」と、
注意書きをすることにしようとは気をつけてる。
グロ画像でもないのに、って話もあるけれどもねぇ……。
ただ、
私も、世界の、というかパレスチナの、胸が押しつぶされる状況ですが、
思わぬときに、予測してなかったときに
その関連のニュースとかをですね、
予期せずに目に入れさせられる(??)と、
心がかき乱され、つらいんですよね、やっぱ。
これは私自身の心の弱さではあります。
そう、私の弱さなのだけど、
でも、
ある人が、その人が見ようと思うときに、情報を見る。
いつ情報を見るかは、その人が選ぶ。
そういうことは、
今の日本の情勢ではね、あっていい、と思う。
たとえば、日本人のひとりが、
ガザの爆撃の情報を見ることに、時間の差異があって、
数時間、数日、遅れようと、
その人が首相でも外相でも高級官僚でも議員でもないなら、
この世界の(パレスチナの)残酷な状況を(万が一)変えらえれるかどうかってことに、影響があるとは思えないからな。
私も、情報を知るのはもちろん大事だが、
それを「すぐ、今すぐ」に情報を見、その記事やらポストを全文、読んで、リアクションすべき、とは思ってない。
そんなん、してたら、身が持たねえのよ。
社会生活、勤労生活、プライベート生活が、持たん。
ただ、私は、私はですよ、そういう私自身、私自身のことだけをですよ、をね、情けないし、弱いし、怠惰で、惰弱で、恥ずかしい人間だとは思ってはいる。
すごく話が逸れたが、
あまりに、激しかったりショッキングであるような文章をもしも、もしもですが、ブログに書くときや、
パレスチナ支持・イスラエル批判があまりに長文に渡ったときなどは、
タイトルのあたりに注意書きをするつもりだ。
(今までも基本そうしてきた。)
それを見て、「読むのやめとくか…」と判断してくれても、全然いいんでね。
脈絡がない上に、くりかえしでスマン。
くりかえしを含め、書かせて頂きます。
このブログは、今まで通りのブログです。
つまり2022年だっけ?そのころ始まって、
これまで書いてきた、
「生活面、日常面、メンタル面、気温差アレルギーの面、音楽の話題ちょっと、日常でちらっと考えたこと、おカネの無さ、おカネを浪費したり、すぐ会社を当欠したりしてしまうなどの私のダメさ」、
などを書くブログであることには、変わりない。
ただ、
そこから少し、別の話が始まることがときどきある可能性もあるブログである。
(パレスチナの非人道的事態について、それを実現させているイスラエルへの怒り、非難、抗議について)
そのことで、
読んでくれている方が萎えや白けを感じるかも知れない。
ただ、それがもし、
小さな不機嫌、不快、萎え、なら、
折り合ってはくれませんか?
そうしてくれると、
そうして、今後も気が向いた時に、
このブログに付き合って頂けると、
私は嬉しい。
(もちろん、読んでくれて、暖かい反応をくれるかたには、感謝している。)
長くなって恐縮です。
読んでくれてありがとう。
P.S.
あと、このところ、このブログに親が登場してきて、交流があることが書かれていること、
及び
このブログが「ぼっち日記」カテにいること……、
についてですが、
(もっと言うと、その矛盾についてですが;、)
んー親とは確かに交流あるのですが、
実家自体は、色々あって、グチャグチャなんです。
一生、帰らん。
(私が加害者であり続けてきた面もあります。
このグチャグチャな事態については。)
実家ということで、もちろん、親もそれに絡んでいるので、
いろいろ、ややこしくて、
考えるのも、うつになるような感じではある……。
あとは私、友人いませんし、
ネットを介して知り合った友人・知人では、わずかに繋がってくれる方々は、います(感謝)、
でも、「こんなことあったよー」的にやりとりできる、
普段のネット友人っていうのか、そういう方はいません。
パートナーもいません。
地域の知り合いとかもゼロだよ。
親戚付き合いも大変、薄いです。
一応、私の「ぼっち性」を挙げてみた次第だ。
落ち込む作業だな、これ。