などと、考えてしまったりする。
だって、生のサイクル(ライフステージと言ってもいい)を、回していけない(いかない)のなら、
年ごとの… 一年のサイクルを、私が体と心に受け取ることも、生物的に言うと、無意味なわけだから。
私、人と、情感ある、交際も、そんなに、していない。
意味のある、自分ならではの仕事、お金にならなくてもいいけど、自分自身の仕事ってものをして自分を燃やすこともしてない……。
ただ、何事もなく、毎日を、勤務して通勤して(コロナで通勤がどうなるかわからんが…)過ごしていく、過ごしていきたい、っていう、それだけだ、この頃は。
そうなると、そんな生活のためには、
季節の巡り、変移、など、無駄なだけだ。(気温などの変化に服や体調を対応しないといけないから)
むしろ季節がない世界の方がベターだと言えるだろう。
なのに、私の体と心は、季節を感じるし、そこから、もっと何かを、感じたがろうとしている。
人生を回せていない私には、そして人との深いかかわりも物語もないし、自己を燃焼させることもしてない私には、
季節が過ぎるっていうことは、物語の発展を、進みを、意味しは、しない。残りの健康寿命が、1シーズン分、減るってことを意味する程度、なのに。
なのに季節が変わることに体調や情感を動かされようとするものが、私の、どこかにある。
生き物の不思議さって、やつ、なのか。
そういえば、季節感……を持ったAI……というのを創造することは、可能なのだろうか?
生き物と同等の、季節の巡りの感覚、を、AIが持つことって、可能なのかな。
だとして、それをAIが持つことは……、(消費者の、季節性の購買欲求を予測するなどの以外には)どんなメリットを生み得るのだろ。
季節か……。
一度、季節のない環境に住んでみたいな……。(屋内に閉じこもるだけじゃだめ、どうしても、大気、外界、からの影響が沁み込んでくる)
北極や南極…?……
そこまで行かなくてもいいけど、今の日本ほど、四季の気候変動が激しくない……ところに住んでみたいかな……(まあ、二季ぐらいですけどね、今)
昔……、若い頃は……、窓が一つもない、厚いコンクリートに囲まれた部屋に住みたいと思ったりもしたなあ……。
何でしょうね、日光とか風とかから隔絶されたい、みたいな……、憧れ…、みたいなものがあるのかな、私。
意外と、宇宙時代に向いた人材だったりして(笑)
でも車酔いをしやすいしな……(←宇宙は車酔いのレベルじゃないぞ)
等々と言っているけど、四季の巡り、それを体と心で感じることが、無駄だとは必ずしも思わない。
それを感じ取ることは、私にとって、必要なことだと、はっきりと、そう感じる。
少なくとも、地上に生きてる限り…
でも、「どう」必要なのだろ?
そこが不思議なところだ。
繰り返しになるけど、今の、淡々と勤務をするだけの日々には(で、気温、気圧の変化で体調がおかしくなりやすい私には)、季節の変移は、障害、でしかない……ということになってくるわけなのだから。
意外と、この問題は、私の生き方の問題に関わってくるなあ。