2024/07/29

漢文の、高校1年の時に授業で使っていたワークブックを発掘した

 



漢文の、高校1年の時に授業で使っていたワークブックを発掘した







漢文の、高校1年の時に授業で使っていたワークブックを発掘した


昨日のブログに漢文(を読み下すルール)にちょっと興味が出てきた、と書いたのだけど、

その流れで、「確か、あんなのがあったな」という記憶で自宅をあちこち探していたら、ダンボールの中から、めあての、高校時代に授業で使っていた漢文のワークブックを見つけ出すことができた。


ワークブックの裏表紙には

「 」年「 」組「 」番 氏名「    」

と記入する欄があって、

そこに、当時の私は、きちんと、学年、クラス番号、出席番号、氏名を記入している。

アホのくせに、そういうところは律儀だ。


それを見ると、高1の時である。

そう、私が、真面目に意欲的に勉強に励んでいた中学時代から一転、

バリバリのノー勉状態に突入していった時代だ。

つまり私の人生が着実に破滅への道をたどり始めた、最初の年なのである。

(その後も一切、私の人生で、立ち直り、リカバリーは無いので、

破滅したまま、これまで来ているわけだが。)


そうなのだけれども、

そのワークブックを開いてみて意外だったのは、

ワークブックのページには、

演習問題や例題などが並んでおり、

直接、ページに書き込みができるようになっているのだが(ワークブックだもんね)、

当時の高1の私は、割と、真面目に、その例題などの欄に、しっかりと答えを書き込んでいるのだ。

結構、ワークブックの最初から最後まで、ちゃんと、シャーペンの私の字が、回答欄を埋めている。


今(50歳近い)の私が、漢文に少しだけ興味がある、ってことを踏まえて考えても、

多分、

ノー勉人間に堕落していきつつあった高1という期間だが、

漢文は、(漢文を読み下すことは、)

それなりに少しは面白い、と、感じていたのかも知れない……、私は。

ただ、所詮、ノー勉人間だったので、

そうやって、少し、面白いな、などと感じて、ワークブックを埋めてはいたけれども、

そのことが継続はしなかったし、

継続しなかったため、当然、ワークブックでやったことが自分に定着はしなかったし、

中国文学に興味を持っていったりだとか、そのように発展することも、結局、なかったわけだ。

寂しいことだ。


でも、漢文はちょっと面白いのかも、という、感覚だけは、私の中に残っていたんだなあ……。

こんな、高校時代の、表紙の絵が色褪せたワークブックなどを、捨てずに取っておいたわけだしな。

高1から今までで、引っ越しだって、何度も挟んだのに。


古びた、実に30年以上前の漢文のワークブックだが、

また、読み返していってみようかな。