2024/07/24

一体、人格障害系で医療に、言わば「繋がってる」人はどのぐらいの割合、いるのだろ

 


一体、人格障害系で医療に、言わば「繋がってる」人はどのぐらいの割合、いるのだろ







一体、人格障害系で医療に、言わば「繋がってる」人はどのぐらいの割合、いるのだろ


特に、

犯罪被害に遭ったからメンタルに支障がでたとか、

幼少期や青少年期に虐待を受けたからメンタルに症状が出たとかじゃなくて、

私みたいな、何と言うか、

・特になんにも被害に遭ってない

・虐待なく育てられた

・金銭面・生活面・教育面など、いずれもまったく不自由なく育てられた

なのにバリバリ人格。

なケースで、

で、

福祉に相談するほどには、至ってないぐらいの生活支障度であるケースで、

そんで医療に、<人格障害>の点で治療(又は助言)を受ける形で、いわゆる「繋がって」いるひとって、

どのぐらいの割合、いるんだろうな。


何が言いたいかは、

要は、

実は結構、少ないんじゃねえかと思ってる、私。

人格で医療に繋がっている人の割合。


だって、

医療機関、に、掛かりに行って、

「あなたは人格に問題がある」

言われるわけですよ。


別に、そのことが、いいか、悪いかは、置いとく。

もし、凶悪で粗暴な悪人だけが生き抜ける世界なら、この世界がね、

いやこの世界も本質はそうなんだけどね、

それなら、凶悪で利己性しかなくてDQNな人間が、生存適格者なわけなんで、

ま、それはちょっと話が極端だけど、

医者から「人格に問題がある」と言われることが、いいのか悪いのか、……

そこは私は言い切れない。


でも、そう言われる、ってことですよね。

「あなたは人格に問題がある」って言われるってこと、だよね。

(まあ……、よく考えてみると、違うアプローチがありえるのかもだけど、究極、そうだろ?っていうか……。)

そう言われるってことなのだけれども、医療と「繋がり」に行きたい人ってさ、

果たして、どんぐらい、いるのかなあ、などなど。


特に私の場合は、

はっきり言えば、

人格が、どう問題あるかは、

人格が、「悪い」んですよ。

自分で分かるもん。

人格が、卑しいの。


まあ、医者なら「悪い」「卑しい」といった言葉を使うことは、ないだろうけれども、

そういうアプローチはしないだろうけども……。


あ、これね、私の自己評価が低いことが良くない、という見方もありえるかもだが、

ちげえのよ。

本当に私は人格が「悪い」、「卑しい」、「あさましい」、「いじましい」のだよ。

自分自身だからこそ自分自身についての真実が分かる、ことの、可能性は、ゼロではないですんで。


でさ……、まあ、本当に(なんだろ、他の人からの判断においても?)、

そうだったというテイで考えてみて欲しい。

(私は人格が悪い、卑しいというテイで考えてみて欲しい。)


そんでさ、

人格が悪いことに対する薬なんて、ないんだよ。


(まあ、あるとして、精神が、固まる系のパニックになったり、爆発系のパニックになったり、を、かな、鎮める薬、かな。今のメンクリでは、そういう方向性では処方、加療してもらっている。


薬なんて、根源的には、ねえじゃん?

人格が悪い・卑しい、ことに対しての。


それならばカウンセリングというものがあるったってさあ、

いや、いいかもだけど、うーーん、

私、特段に、「これが悪かったせいで人格障害になった」とかが、ねえのよ。

割と純粋に、

虐待されたとかでもなく、いじめ加害を受けたとかも体験、ないし、

割と、自力で、人格障害者に育っちゃったのよ。

自力で、なった、純粋の人格障害者よ。

しかも、人格が依存的だとか、人に執着してしまう人格だとかってよりは、人格が悪いタイプの人格障害者よ、私。

なもんで、うーーん。


もう、そうね、多分なんだけど、幼児のころから、人格障害者ではあると思う、私。マジ。

性善説のかたは、幼児のころからとか、ありえない、と言うかも知れんが……。


で、こういう人格障害だの定型人格だののことを考えておりますと、たよりたくなるのがさ、

「自分が人格障害であることを通して人の心の汚さを知っているからこそ、強く生きられるし、何かあったときに、タフに・冷静に対処できる」みたいな偶像的なイメージなんだけどさ、

(言ってしまうと、「発達障害である児童は、常人にはない特別な才能を持っている」、「HSPは、常人よりも芸術などに対する感受性が豊か」、みたいなアレね……。見かけると片腹痛くなっちゃうアレ。

これが、やっぱ、実際には、そうでもないわけ。

私で言うと、

全然、気が弱いし、胆力が弱いし、

何かあった時にタフに・冷静に対処できたことなんぞ、生まれてから一度もなく、今後も一度も多分ない。

「人格障害(人格が悪いタイプ)だからこそ、タフで冷静に生き抜ける」は、

まあ……、神話だわ。


で……、

そうね……、

(話のまとまりが1ミリもなくてスマン、)

弱いなら弱いで、素朴で朴訥で一生懸命で受け身な感じで弱ければいいのに、

たまに、かっとなると、バトりますしね、見知らぬ他人とかと。

私自身が、そうだ、ってことなんですけどね。

それも、しょうもないこととかでバトることあるからね。

(ただ、相手が悪いケースもあるので、そこは、「相手が悪いこともある」ってのは、頭に入れておかないといけない。)



そうだなあ、

ノー勉……、

高1・高2・高3(現役受験年)・1浪の時期、私が執拗にやって、家族を傷つけ抜いて、自分で自分の人生をめちゃめちゃに破壊してのけた、ノー勉……

あのノー勉も、多分、私の人格の悪さと結びついているんだろうなあ……。

普通、やらんよね、そんな執拗には、ノー勉を。

しかも私自身にとっても損になるだけだったのにな。

高校時代はなぁ……、私は私を守らないといけなかったのにな……。

つまり、無理してやる、までは行かなくてもいいが、普通程度には大学受験勉強をすることで、世間や他人や、ともかく私の味方でも何でもない何やかんやに対し、自分を守らないといけない(つまり勉強という行動をしていかないといけない)、大事な大事な時期だったのにな。

なのに、むしろ、狂気かってぐらい一生懸命に、ノー勉して、自分と自分の将来、可能性、を破壊することに、いそしんでた。

本当、狂気でした。

ま、そういうところだよね……、私。


今は少し勉強しているんだけどね……。

50歳近くなって、なんだけども。

まあ楽しいよ……、勉強……。(と言っても、そうね、私に出来る程度の勉強、ってことではあるね。)

この年になって、今、なんかしらの勉強を、そういう風にして、やっても、ね、キャリアが変わりようが有るかは、まあ、そこまでないのだけど、あと、そこまでの勉強力、学力は無いしね……、

今は、そうだな、

役立てばいいな、っていうのも有るけど、

あとは、単に、勉強したい、ってのもあって、ふわっと、やってるような……。そんな感じかな。